私が子宮頸がんになったのは、23歳の時でした。大好きな東京で一人暮らしをしながら、マンション販売の会社で働いていた頃です。毎日のように終電で帰るようなとても忙しい職場でしたが、仲間にも恵まれて、本当に楽しく充実した日々を送っていました。
不正出血に気付いたのは、そんなある日のこと。最初は生理が長引いているのかと軽く考えていたところ、次第に出血量が増えてきたので、一か月ほど経ってからやっと重い腰を上げてクリニックを受診しました。
すると、診てくださった女医さんが、診察直後に「すぐ院長を呼んできて」と看護師さんに一言。その時点で悪い予感はしていましたが、ほどなく院長先生から「子宮頸がんがかなり進行しています。今日明日にでも大きな病院に行ってください」と宣告を受けました。
クリニックを受診する半年ほど前に、会社の健康診断で婦人科検診も受けており、「異常なし」という結果でした。普段から風邪もめったに引かないくらい元気でしたし、出血していただけで痛みもなかった。ですから、突然「がん」と宣告されても、すぐには実感が沸いて来なかったというのがその時の正直な気持ちです。
その後、大阪から上京してきた両親と一緒に東京の国立病院を訪れ、「このままだと子宮全摘出しなくてはならないかもしれない」という説明を改めて受けました。母は「自分がもっと早く娘の体の変化に気付いてやれていれば」と涙を流し、父は淡々と治療方針について先生に質問をしていました。当の私はというと、その状況を眺めながら放心状態だったように思います。
がんの告知を受けてから、生活は一変しました。子宮摘出の手術前に抗がん剤治療を2回、さらに手術後に放射線治療を行うことになり、仕事を辞めて大阪の実家に戻りました。宣告から1か月後、すべての検査結果が出そろう頃には、腫瘍が腰の神経を圧迫し、息もできなくなるような痛さが続くようになっていました。あっという間に進行するがんに驚き、徐々に病人になっていく怖さを感じました。
抗がん剤治療では、脱力感と微熱、吐き気が続き、髪の毛も抜けました。今までに味わったことのないような辛さでしたが、ここまでは「やるしかない」という気持ちだったんです。ところが、手術入院が迫って来ると、急に「子宮を失った後の私の人生、一体どうなってしまうんだろう」という恐怖に押しつぶされてしまって……。きちんと納得しなければと思い、手術入院の前日に黙って上京。一人暮らしをしていた部屋で夕方まで泣き続けました。そんな私を救ってくれたのが、「ただ生きなさい。もう一度笑えるまで生きてほしい」という母のメールにあった言葉。その言葉に背中を押され、やっと手術とその後の人生に向き合えるようになりました。
手術では、子宮、子宮を支える靭帯、リンパ節を切除しました。放射線治療は通院でよかったので、私はすぐにでも東京に戻りたい気持ちでいたんです。ところが、体力がかなり落ちていて、気持ちに体がついていかない。これはとても辛い経験でした。約1年後には東京で再就職することができたのですが、無理をすると高熱が出てしまう後遺症が響いて、結局辞めることになってしまいました。その後、2008年には、兼ねてから目標にしていたイベント会社を設立。今は本当に幸せな毎日を送っています。
それと同時に、23歳で子宮頸がんになった体験を多くの若い女性に知ってもらうため、講演会や学校の授業などでお話しする活動を続けています。「阿南さんのような生き方もいいな」と思ってもらえるような、ひとつのモデルケースになれればと思っています。最初は反対していた母も、今では私の活動を理解して支えてくれています。はじめて講演することになった時、母親としてのメッセージを皆様にお伝えしようと、母に手紙を書いてもらいましたので、ここでその一部をご紹介したいと思います。
【阿南里恵さんのお母様からのメッセージ】
「がんになると、かなり大きなお金が必要となります。また、精神的負担はそれ以上です。代わってやりたい思いと、代わってやれない現実が毎日私を追い詰めました。15年早く、ワクチンが日本にあれば、私の娘も子宮を失うこともなく、結婚し、赤ちゃんを産み、優しいお母さんになれたかと思うと残念です。実は、娘の病気を世間に公表するのがとても嫌でした。しかし、子宮頸がんの予防活動をどうしてもしたいという娘の熱意に心動かされ、今では私も何か応援できればと思っています。」
また、みなさんは「キャンサーギフト」という言葉をご存じでしょうか。私もこのような活動を始めてから出会った言葉なのですが、がんになったからこそ得られた素晴らしいことがあるという意味で使われています。術後5年に渡る経過観察の時期は、自分の未来が想像できず、本当に人生のどん底をはい回ったような気分でした。しかし、今振り返ってみると、がんを乗り越えたからこそ、人の優しさや親の愛情などに気が付くことができた時期でもあったと感じています。

子宮頸がんとは、恋愛、結婚、出産、仕事と、女性の人生に大きく影響を与える病気です。若い女性を持つお母様方には、ぜひワクチンの接種と定期的な検診で、お嬢様たちを守ってあげてほしい。そして、若い女性にはワクチン接種や検診が、婦人科を身近に感じられるひとつのステップになればと思います。検診を受けていれば、子宮頸がんだけでなく様々な婦人科の病気のリスクを減らすことができるはず。正しい知識を得て、最大限にできる予防をしてほしいです。
たとえがんになってしまったとしても、絶望することは決してありません。23歳で子宮頸がんになった私は、それを乗り越えた今、それまでより人生が何倍も幸せになったと感じています。
子宮頸がんは、ワクチンの接種によってHPVの感染から体を守ることで予防できます。
しかし、ワクチンの接種をしたからといって100%予防できるわけではありません。早期発見のためにワクチン接種とあわせて、定期的な子宮頸がん検診も重要です。20歳になったら子宮頸がん検診を受けましょう。
【メッセージ】