患者さんの声から学ぶ
〜23歳で向き合った子宮頸がん〜
患者さんの声から学ぶ 〜23歳で向き合った子宮頸がん〜 
23歳で子宮頸がんと診断され、治療と向き合うことになった女性患者さんの体験を紹介します。手術や治療への不安、治療後も続く後遺症によって変化した生活。その中で支えになった家族の言葉や、「生きる」という選択。ご自身の経験を語ることで、子宮頸がんの予防という選択肢の大切さを伝えたいという思いが込められた記事です。
インタビュー出演者

一般社団法人PUNTO A CAPO代表理事
阿南 里恵さん
2004年、23歳のときに子宮頸がんが見つかり、抗がん剤、手術、放射線治療を受け、子宮及び周辺のリンパ節を摘出。その後、5年間の経過観察を再発や転移もなく過ごしたが、後遺症の両下肢リンパ浮腫を発症。後遺症によって人生のあらゆる場面で困難を抱え、人生の再設計に長い年月を要した。現在は日本語教師を本業とし、全国各地でがんの啓発や講演活動も行っている。
診断のきっかけと告知の瞬間
23歳の誕生日を迎えた直後、不正出血が続くようになり、
1か月後、両親とともにそれは「子宮頸がん」であると、告知を受けました。
医師から、「治療がどれくらい長引くか分からない。手術も必要になるし、一人では乗り越えられないよ」と告げられたのです。
その言葉で初めて、自分の病気がとても深刻なものなのだと理解しました。
私は荷物だけを持ち、翌週には大阪の実家へ戻り、治療を受けることになりました。
治療の選択と揺れる気持ち
治療はまず抗がん剤から始まり、がんが小さくなった段階で「子宮を全部取ります。」という方針でした。手術後もがんが残る可能性があるため、放射線治療を行う予定だと説明を受けたのです。
ただし、「お腹を開けてみないと、どれだけがんが広がっているか分からない」とも言われ、「もし広がっていた場合には手術を中断し、進行を遅らせる治療へ切り替える可能性もある」と、医師から説明されました。
その時は「分かりました」と受け止めたものの、手術の日が近づくにつれてだんだん怖くなり、その恐怖は突然増していきました。
※治療方針は個人によって異なります。
治療後も続く後遺症と生活の変化
手術後、「リンパ浮腫が出る可能性がある」と説明を受けていました。
実際には、疲れがたまったり長時間立ち続けたりすると、夜には足が大きく腫れ、高熱が出るようになりましたが、しばらく休めば治っていました。
しかし、月に一度は突然仕事を休むことになり、2日ほど休養が必要になることもありました。
普段は元気でみんなと同じように働いているため、病気を経験したとは思えないくらい普通に生活をしていましたが、ある日突然、後遺症が現れます。
残業や休日出勤ができないことに申し訳なさを感じ、やがて退職を選びました。
後遺症も重なった結果、その後は転職を繰り返し、30代の間は「ここにいていい」と思える居場所を見つけることができませんでした。
予防という選択肢
がんに罹って人生がものすごく難しくなりました。
罹る前は、どんな未来もその先にあって自分で選べたのに…
「がんに罹るだけでこんな思いをするなら、もう誰一人なっちゃいけない」と思ったのです。
子宮頸がんには、ワクチン接種や検診という予防の選択肢があります。
以前よりも、自分の描く未来をどうしたいかを選べる時代にもなりました。
何かが見つかってから治療する医療と、何も起こらない状態を維持するための医療は、まったく違うと思うのです。
たとえ早期発見であっても、治療には精神的な負担や体への影響が伴います。
だからこそ、「がんにならない」という選択肢を持てることには、大きな意味があると強く思います。
※HPVワクチンと検診で子宮頸がんを100%予防できるわけではありません。

